21世紀の医学とは?

上記について考える機会があり、以前、文書にして同窓会誌に投稿しました。将来の医学についての私の基本的な考えは変わっておりませんので一部手を加えて改変しここに紹介します。

医学の原点は、ヒポクラテスである。彼は、病気が超自然現象で生じるのではなく自然の力によって生じるとし、それまでのシャーマニズムから医学を科学に導いた。また、彼は健康とは体と心を含む内的力と外的力の調和的バランスであると説き、自然治癒力を大いに強調している。しかし、現代医学ではこの自然治癒力を軽視しており、不必要な過剰な医療、あるいは時には自然治癒力を台無しにする医療が推賞されており、医源病を作っているかもしれない。この自然治癒力を理解し最大限引き出してやるのが本来の医師の努めであろう。私はアンドリュー・ワイル博士の著書をよく読んでいる。ホリステイック医学に興味のある方ならばすでにご存じであろうが、皆様に知ってもらいたいので紹介します。
本の中で、医学部の教育では無かった、現代医学の歴史が述べられている。中世医学の主流は英雄医学と呼ばれた魔術と瀉血療法であった。瀉血とは病気になった人間の血液に毒が有り、血抜きをすることで治療するという方法である。有名な医学雑誌「ランセット」の意味が「瀉血針」であることを知っている人はあまりいない。あのジョージ・ワシントンも肺炎で、悪い血を体外に出せと言う理由で大量に瀉血され、大切な白血球を失ない死んでいった。また、1950年代に狭心症の外科的治療として内胸動脈結搾術があった。内胸動脈を結搾する事で側副血行を介し心筋血流を増大させる目的で行われた。現代医学では、全く意味がない治療法であるが、多くの患者は何故かこの開胸手術で狭心症の痛みが消失したという。しかし、追試でプラセボー手術(開胸するだけで、内胸動脈を触らない手術)でも改善したため、この手術が無意味と証明され現代にこの術式が残っていないのである。
また、ある特殊医学の薬の使用法は、「類は類を治し、少は多より大なり」という原則があると紹介している。これは「健常者に特定の症状を引き起こす物質はそれと類似した症状を呈する病者を治す効力があり、その投与量は少なければ少ないほど病気に対抗する身体の生命力を引き出す」というハーネマンの学説を意味する。このことで私たち循環器医がピンとくることといえば、ジギタリス製剤と心不全に対するベータ遮断薬療法及び抗不整脈剤の催不整脈作用についてであろう。大量投与すれば、不整脈を生じる薬が抗不整脈薬であり、心不全を生じる薬がジギタリスであり、ベータ遮断剤なのである、なるほどハーネマンの言うとおりである。また、ジギタリス中毒に関する記述では、有名な「消化器症状が最初にでることになっているが、必ずしも消化器症状をあてにしてはいけない。」と教わる理由を明確にしている。実際、ジギ中の消化器症状は比較的多いが、我々が経験するのは初期症状でなく、ジギ中になってから、消化器症状があると気付く(つまり、消化器症状は、ジギタリス中毒の症状であり、初期症状とは思っていないといえば分かるだろうか?)。では何故そのように教わるのであろうか?それはジギタリスが製剤化される前の生薬時代の名残だったのである。生薬時代のジギタリスは見事に中毒量に至る前に消化器症状がでておりそれで薬量を調節していたという歴史があったのである。
日常診療で、私が努めて患者にしていることはライフスタイル全般でのアドバイスである。それが、本来のGPの役割だと考えているからであるが、ワイル博士の本にはこのような予防医学的立場から食事、生活の改善を勧めていること以外に、現代医学以外でも改善する例を科学的に説明しようとしていること、さらに現代物理(量子力学など)を現代医学に取り入れようとしていることなど、これこそが目指すべき21世紀の医学であろうと思われることがさりげなく書かれている。
しかしながら、実際には多くの例で対症療法をしてしまう現実がつらいのである。
Referrence
1.Health and healing: by Andrew Weil 邦題「人はなぜ治るのか」日本教文社 1990
2.Spontaneous healing: by Andrew Weil 邦題「癒す心、治る力」角川書店 1995 inserted by FC2 system