薬と生体反応について

昔から、薬とは毒にもなることは皆さんご承知で、過量投与は副作用発現の元となる。現代薬理学の問題点はin vivoの実験結果をそのまま採用し、生体の反応をあまり重要視していないことであろう。人間の身体というのはヒポクラテスが提唱したように必ずホメオスタシスがあり、薬に対し揺さぶられるとそれに対する揺り戻しがある。ステロイドなどそれが認識されている薬もあるが、多くの薬はDose responce effectが信じられ、目的とする効果めざし、dose upが続けられる。身体はそれになれて、病気の本質が改善されていなければ、薬を減量しようとすれば、反動がでてくる。(代表として肥満患者における経口血糖降下剤投与がある:医者は食事療法などで血糖が低下するまで待てず、患者も自己努力を怠るため、原因療法ができない。)それ故、製薬会社の思うつぼの薬漬けとなってしまう。薬の効果も重要であるが、薬に頼らない医療を目指すように、医師教育あるいは啓蒙活動が必要な時代に入りつつあるのではないであろうか?
薬価について
国民皆保険という偉大な制度の元、薬価の設定は厚生省の官僚と、資料提出の担当製薬会社の間で密室状態で決められている。例えば、メバロチンやリポバス、ニューロタンといった薬は国際薬価で見ると約1.5-3倍の値段が国で保障されている。だから、国外で薬を買って、国内で売れば輸送費を含めてもぼろ儲けとなる。こういう構造悪を明らかにせず、薬価問題を薬価差益に限局しようとしている厚生省の姿勢こそが本質的な問題であろう。(区の医師会レベルで論議してもしようがないのかもしれませんが)
薬価差益の問題
薬をたくさん使うと差益がでるため、それが薬漬けになる原因であると厚生省はいうが、本当に多くの臨床医が薬屋の手先になってまで患者に不必要な薬を売りつけようとしているのだろうか?答えは前に述べたように否であろう。しかし、医師サイドからいえば差益が無かったら困るのは事実でもある。この理由は1.薬の再販が認められていないため不要な薬は返却できず、期限切れまでに使わねばならない仕組みとなっていること、2.在庫分は税務上、財産とみなされるため(不良在庫であっても)差益がその保険となっていることなどがあげられる。
これらの問題点を解決するには医薬の完全分離か、薬の再販制を認めるかのいずれかしかないと考えられる。都会など薬局の多い場所では前者が有効かもしれないが、田舎などを考えると後者が有用であろう。それが困難な場合、医師サイド間での不良在庫、処分品の独自完全流通ルートを確保することが代案になりうる。
薬問屋の姿勢
製薬メーカーと医師をつなぐ薬問屋にも問題があると思われる。あのような詐欺まがいのことをしておきながら、いまだに新薬がでれば置かせてくれと言ってくる。やっぱり、薬は再販制にしてこんな情実商売はやめたらよろしい。人気のある薬はよくでるし、ない薬は返品の山、製品に責任感を持つようになり、販売にも責任感がでる。
薬価行政
参照価格制は、薬屋にとっては高値安定で願ってもないことであるし、患者負担も増え全く福祉国家を目指す国とは思えない愚策である。薬価に関しては国際標準価格を設定し、それを準拠し、再販制度をすることで、不要な薬の流通が防げるとかんがえる。しかし、それよりも薬に頼らない医療を目指すことに関しての教育、啓蒙及びその成功報酬設定(技術料としての評価)が21世紀の医療に必要と考える。 inserted by FC2 system